修羅の刻11巻~13巻は戦国時代編です!
さて時代はここから始まります。
尾張の虎と呼ばれた織田信秀の葬儀からなんですが、尾張の虎というニックネームにはやはり違和感を感じますな。尾張というならばやはり竜であって、虎はやはり関西人にこそ似合います。12球団の中でもこの竜虎だけは別格でしょう(鯉やツバメはかっこ悪いし、鷹や獅子はイマイチ浸透度が弱い)
つーわけでもちろんこの梟雄が登場!
織田信長!
説明不要の超絶有名人です。坂本龍馬の功績を知らない馬鹿はいるかもしれませんが、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康、この3人の功績を知らん馬鹿はさすがに日本に存在せんでしょう。日本で最も有名な偉人の1人であることに疑いの余地はありませんな。
さてここで信長の腹違いの妹の琥珀が登場しますが、初登場からさっそく土手を滑り落ちます(笑)
大和撫子の美徳ですな。見せパンがどーだとかぬかしとる馬鹿女に見せてやりたいもんです(笑)
つーわけで琥珀を助けた謎の男に相撲をふっかける信長。
謎の男「何をくれるんだ?」
信長「好きなものをくれてやる。」
つーわけで謎の男vsお武羅衆なんですが、お武羅衆は瞬殺されます(笑)だもんで信長自身が挑みます!
野見宿禰とは相撲の祖だと伝えられておる人物ですが、垂仁天皇の時代の人物なので紀元前20年あたりということになります。相撲ってのは2000年以上続いておるわけか、そりゃ国技にもなるわな…
つーわけで組み技で挑む信長でしたが…
ノーザンライトスープレックスですな(笑)馳浩が考案する400年以上前にノーザンライトは陸奥により生み出されておったとゆーことです(笑)
がしかし、ただのノーザンライトでは終わらないのが陸奥圓明流。
投げた勢いで自分も回転しての腕ひしぎ腕固め。本来ならここで腕ひしぎ十字固めでもいいんでしょーが、周りに信長の配下がたくさんおるんでね、そいつらに素早く対応するための腕固めとゆーことでしょう。さすがです。
そんなわけで初めて恐怖をおぼえた信長。
信長「お前、いったい何者だ。」
陸奥圓明流25代目伝承者、陸奥辰巳!
虎彦狛彦の父であり、宮本武蔵を倒した陸奥八雲の祖父であり、柳生十兵衛を倒した陸奥天斗の曾祖父とゆーことになります。
がしかしこの辰巳以前の陸奥に関して判明しているのは9代目陸奥鬼一と10代目陸奥虎一の2人のみ。虎一から辰巳までの間に14人の陸奥が存在したはずですが全員謎のままです。まぁ鎌倉時代から南北朝を経て室町時代っていうのは日本史の中でもあまり面白くない時代やからねぇ…
つーわけで賭けに勝ったのは辰巳。
辰巳「さて…もらってくぞ」
陸奥の男は全員食いしん坊です。飯をめぐんでもらったお礼に戦うってのは陸奥圓明流伝承者の定番です。
これに対して信長は…
信長「違う…賭物はそなただ、琥珀。オレが賭けたのは琥珀だ。にぎり飯つきでくれてやる、鬼の住み処がどこかは知らぬがどこへなり連れていくが良い。」
そーゆー時代やったんでしょな。まぁ逆に婚活とかしなくても嫁には行けたわけですからね、ブサイクな姫にはいい時代だったのかも。
つーわけで琥珀を貰うのは拒否した辰巳でしたが…
琥珀「陸奥様…女の意思とおっしゃいました。私がもらって下さい…と言えばもらって下さいますか。」
辰巳「兄想いだか。が…言ったろう、手は貸してやる…と。」
つーわけで出会って僅か5分程度で結婚(笑)
まぁ陸奥に嫁いだことが明確に描かれているのはこの琥珀ただ1人だけです。宮本武蔵編での詩織、風雲幕末編での蘭、寛永御前試合編での圓、西郷四郎編での田中十蔵の娘は、陸奥といい仲にはなってはいますが嫁いだかどーかは不明なんです。
さてこれから8年後。信長は26歳になって尾張を統一しますが、この男が尾張へ進攻します!
今川義元!
例えば100人の人間がそれぞれに織田信長を描くのであればそこには100通りの織田信長が生まれるんやろうけども、この今川義元という人物だけは誰が描いても常にこーゆー麻呂っぽい感じで描かれますな。いや、これは凄いことだと思いますよ。イメージがここまで固定化されてる歴史上の偉人って他には…沖田総司か徳川吉宗くらいのもんじゃないのかね?
つーわけで絶体絶命の信長、とりあえず踊ります(笑)
信長の言葉だと思われがちですが、元々は敦盛という幸若舞の一節です。「人間五十年 下天のうちを比ぶれば 夢幻の如くなり 一度生を享け 滅せぬもののあるべきか」と繫がります。その意味は…まぁ人生なんて儚いもんだよ的な感じです(笑)
さて出撃はしたものの、義元の本陣が分からずに困る信長の前に…
出てきました、虎彦と狛彦。この時点で5歳、男の子が一番可愛らしい時期でしょーか。
そんなわけで桶狭間の義元の本陣に単身乗り込んだのは…
辰巳が義元を追い落としたことによって桶狭間の奇襲は成功した、これが歴史の真実です(笑)まぁ桶狭間の戦いといえば歴史に残る奇襲戦だとなっていますが、実際には今川軍と織田軍はガチで正面からぶつかり合ったようですけどね。そもそも桶狭間というのはどこだったのか、現在となってはよく分からないんですよ…
つーわけで勝った信長は奥さんの所へ。
信長の嫁といえば濃姫です。もちろん斎藤道三の娘ですな。
戦国時代はもちろん男の時代ではありますが、何人かは覚えておくべき姫も存在してます。信長の嫁の濃姫、妹のお市、お市の娘の茶々・初・江、秀吉の嫁のねね、ここらへんまでは一般常識として抑えておきたいレベルです。さらに言えば伊達政宗の母の義姫、明智光秀の娘の細川ガラシャ、武田信玄の嫁の由布姫、前田利家の娘で宇喜多秀家の嫁の豪姫あたりまで抑えておけばまぁ充分でしょーか?
さて息子を迎えに来た辰巳パパ。
義元が使っていたこの左文字は、三好政長→武田信虎→今川義元→織田信長→豊臣秀吉→豊臣秀頼→徳川家と渡ったあげく、現在も京都の建勲神社というところに現存しています。一度でいいからそんな刀を手にしてみたいものですなぁ…
さて妹の琥珀が死んだことを聞いた信長は決意表明。
実際にはこの時代に日本を統一しようと考えていた武将は信長以外にはほとんどおらんかったようです。そもそも日本を一つの国と考える発想自体が当時は無かったのかもね…
つーわけでこれを実行に移す信長。
桶狭間の戦い以後の信長は、家康と同盟を組み(清洲同盟)、妹のお市を浅井長政に嫁がせて、父殺しの斎藤龍興を破って美濃を平定し、南近江の六角義賢と京都の三好長慶を蹴散らして上洛したわけです。
ちなみにこの1568年の時点で勢力をほこっていた大名は北から南武、最上、伊達、芦名、上杉、武田、佐竹、北条、徳川、浅井、朝倉、三好、尼子、毛利、長宗我部、大友、龍造寺、島津くらいのもんです。歴史がちょっと変わっていればこれらの大名が日本を統一していた可能性もあったわけで、そんな歴史もみてみたい気もしますがね…
そんなこんなで1570年、信長が開催した相撲大会に出場したのは虎彦。鯰江にすくい投げをくらいますが…
サンボでいうところのぶら下がり一本背負いに、相撲でいうところの「とったり」をミックスしたような感じでしょーか。上手い例えが見つかりませんよ、だってこんな投げ方見たことねーんだもの。
さてそんな虎彦の活躍を狛彦と一緒に観戦していたのが…
雑賀孫一!
もちろん有名な雑賀衆の頭領なんですが、また渋いところを題材に選んだもんです。孫市についての考察は…また次にしましょーか…