第161話「イキてこそ」元ネタはポール・リードの「生きてこそ」。
なんだか理不尽という話。
公園に勝手に作った家を撤去して怒られたり、これは確かに理不尽ですわな。社会的弱者をいたわれる社会であるべきなんだけども、その社会的弱者が声高にむちゃくちゃな権利を主張してるのを見ると虚しくなっちゃいますよね…
第162話「大逸走」ポール・ブリックヒル「大脱走」より。
師走、それは師が走るということ。つまり…
そしておまけ。
そんな師も走るだけではなく走攻守三拍子揃ってないとダメだということで、三拍子揃った選手のドラフト会議へ。
第163話「×の悲劇」エラリークイーン「Xの悲劇」ですな。
今回のお題は「人間のスイッチ」。
つーわけで色んなスイッチ。
第164話「往復の王子」オスカーワイルド「幸福の王子」ですね。
双六でゴールすることを「上がる」と言いますが、本当に上がっちゃっていいの?という話。
そーゆーわけで上がりたくない人もいるんです。
第168話「削られた恋占い」桂木寛子「呪われた恋占い」より。
第169話「ジェレミーとドラコンの卵」ブルースコウヴィル「ジェレミーとドラゴンの卵」より。
つーわけで上がらない方が良いものも。深夜番組がゴールデン進出で別ものに、これは例を挙げればいくらでも出てくるでしょう。ふざけた発言や企画、お色気が無くなって全く面白くなくなる番組は多いですよね。ケンコバや有吉、おぎやはぎやFUJIWARAや劇団ひとりあたりは深夜枠でこそ輝く芸人ですからね…
第165話「告白縮緬組」国枝史郎の「紅白縮緬組」より。
そんな自首が増えると大問題になります。
缶ジュースの中身の原価とか自首されると購買意欲がなくなります、これは分からんでもないですな。150円で売ってるジュースの中身なんて5~10円くらいの原価ですからね。まぁ容器代・人件費・輸送費諸々を考えると適正価格なのかなぁとも思えますけどね…
第166話「アーとウルーとビーの冒険」これはアルビレックス新潟が発行した絵本「アーとルーとビーの冒険」だそーな。
今回のお題はこれ。
うるう秒!
地球の公転周期は約365.23日であるために4年に一度うるう年を挟む、これは分かります。これに対しうるう秒というのは全く別で、地球の自転周期が一定ではないためにそれを調整するために用いられているものだそうです。うるう年とうるう秒、似てるようで全く別の物なわけです。
さてうるう秒があるのなら、いつの間にか増えている「うるう人」もいるのではないか。
巨人はそーやって入場者数を水増しして発表するんです。なぜそんなことをするか、それは単に「見栄を張りたいから」ですよ。シーズンシートなんて結構空いてますからねぇ。
つーわけで色んなところにいるうるう人。
新DA PUMPはオリジナルメンバーよりうるう人の方が多いよ、これはもちろんその通りで、今は7人グループだそうですが初期メンバーはISSAしか残っていないそーな。それってDA PUMPなのか?
第167話「ハルピンの一矢」南部修太郎「ハルピンの一夜」より。
戦に敗れてもなお一矢報いる、それこそが漢です。
まぁ女に告白してフラれた男の80%は一矢報いてますよ(笑)
第168話「削られた恋占い」桂木寛子「呪われた恋占い」より。
コストカットとはいえ、物事の肝まで削っちゃダメでしょという話。
お題はゴルフで飛距離を競うドラコンから。
そして2番ホール。
ディズニーランドからどれくらい遠くまであの耳つけて帰れるかと似たような話で、プロ野球を観戦し終わった後どこまでユニフォーム着て帰れるかというドラコンはありますな。ドームや神宮で観戦した後の総武線なら俺はユニフォーム着たまま乗れますけどね…
どのくらい遠くまで綾瀬はるかに似てると言い張れるか、こーゆーのに関しては真顔でアルバトロスを叩き出す女の子は結構いますよね(笑)
ディズニーランドからどれくらい遠くまであの耳つけて帰れるかと似たような話で、プロ野球を観戦し終わった後どこまでユニフォーム着て帰れるかというドラコンはありますな。ドームや神宮で観戦した後の総武線なら俺はユニフォーム着たまま乗れますけどね…
がしかし、飛距離を競うだけがゴルフではありません。
第170話「三次のあと」素木しづの「惨事のあと」です。
お題はこんな哲学的ワード。
シュレディンガーの猫、これはめちゃくちゃ難解な概念です。俺も上手く説明はできませんが…まぁ普通に考えれば箱の中の猫は生きているか死んでいるかのどっちかでしょ。だけどこれをどうやって説明するんだというのがシュレディンガーの猫なんです。猫が生きているという可能性と死んでいるという可能性の2通りが当然考えられるんですが、実際には箱の中の猫は生きているか死んでいるかのどちらかしかない、つまり事実は世界に1つしか存在しないはずなんです。可能性としては2通りあるけど事実は1つしかない、これをどう説明するのかという問題なんです。この点について1つ目の考え方は「猫が生きている世界と猫が死んでいる世界とが平行世界として併存している」と考えます。これに対し量子力学の世界においては「箱を開けるまでは猫が生きている状態と死んでいる状態とが混ざり合っていて、箱を開けて中を観測した時点でそれがどちらかに変化する」という考え方をするんです。とんでもない発想をする人もいるもんですよねぇ…
シュレディンガーの猫、これはめちゃくちゃ難解な概念です。俺も上手く説明はできませんが…まぁ普通に考えれば箱の中の猫は生きているか死んでいるかのどっちかでしょ。だけどこれをどうやって説明するんだというのがシュレディンガーの猫なんです。猫が生きているという可能性と死んでいるという可能性の2通りが当然考えられるんですが、実際には箱の中の猫は生きているか死んでいるかのどちらかしかない、つまり事実は世界に1つしか存在しないはずなんです。可能性としては2通りあるけど事実は1つしかない、これをどう説明するのかという問題なんです。この点について1つ目の考え方は「猫が生きている世界と猫が死んでいる世界とが平行世界として併存している」と考えます。これに対し量子力学の世界においては「箱を開けるまでは猫が生きている状態と死んでいる状態とが混ざり合っていて、箱を開けて中を観測した時点でそれがどちらかに変化する」という考え方をするんです。とんでもない発想をする人もいるもんですよねぇ…
つーわけで真実を知りさえしなければ可能性は残り続けるという話です。