舞台は2010年の日本シリーズから。
さていじめの標的が友達へと移り、さらに精神的に追い込まれる実央ちゃん。日本シリーズにすら噛みつきます。たしかに近年は日本シリーズすらTV放送しないことも増えましたね。しかもこの年は中日vsロッテでしたからね、全戦放送しようっていう局がなかなか現れないことは理解できますが、昔を知ってる人間からすると寂しい限りですよ…
さて日本シリーズは落合監督vs西村監督のロッテOB対決。選手時代もコーチ時代も同じチーム一筋のまま監督にまで上り詰め、その経歴において一度も他球団のユニフォームに袖を通したことがない監督、結構いそうでいないもんです。ちょっと俺が生まれてからこの条件に該当する監督を挙げてみましょうか。
・阪神ー村山実・和田豊(吉田さんはフランス代表監督経験歴あり)
・巨人ー長嶋茂雄・堀内恒夫・原辰徳(意外にも藤田さんは大洋でコーチ歴あり)
・中日ー高木守道
・横浜ー該当者無し
・広島ー山本浩二・三村敏之・野村謙二郎・緒方孝市
・ヤクルトー若松勉・古田敦也・真中満
・西武ー東尾修
・日ハムー該当者無し
・ソフトバンクー広瀬叙功・穴吹義雄
・オリックスー該当者無し
・ロッテー有藤道世・西村徳文
・楽天ー該当者無し
さらにここで実央ちゃんのお父さんからこの選手の名前が。
たったの17人しかいないんですよ、生涯1つのチームを貫いた監督ってのは…
さらにここで実央ちゃんのお父さんからこの選手の名前が。
たしかに我々の世代には盛田も忘れられない投手ですね。何気に横浜時代に最優秀防御率のタイトルを獲ってるんですよ、横浜でこのタイトルを獲れたのは平松さんとヒゲの斎藤さんとハマの番長くらいのもんですからね。近鉄に移籍してからはとにかく脳腫瘍からのカムバックのことばかりを言われてましたが、2001年のあの近鉄のパリーグ制覇に見事に貢献しましたからね…
そんなわけで実央ちゃんの友達の加奈ちゃんも初めて日本シリーズを視聴。
プロ野球好きの女子から浅尾が浅尾きゅんと呼ばれるのはよく分かる。浅尾はホントに男前ですからね。
つーわけで日本シリーズ終焉。30歳超えた女の子はホント年齢の話に敏感になりますが、俺の周りにいる女友達はだいたいが30代後半になってきたのでね、最近は以前ほどうるさくなくなりました。もう諦めたんでしょう(笑)
巨人ファンには分からない心情でしょうな。俺は阪神ファンですが、阪神がリーグ優勝を果たした時の俺の年齢は8歳、26歳、28歳でしたからね。多感な10代の時期に優勝を果たせなかったのは残念ですが、30代でも1回くらいは優勝を味わいたいなぁ…
そして時は進んで2010年ドラフト会議へ。
大石達也に6球団、斎藤佑樹に4球団、さらに福井優也も指名されて早稲田から3人の投手が指名されたあの年です。まぁあのドラフト会議で最も印象に残ってるのは当時オリックスの監督だった岡田さんですよ、岡田さんは大石の抽選を外し、外れ1位指名の伊志嶺翔大もロッテと競合の末抽選を外し、その後さらに外れ1位指名した山田哲人も抽選でヤクルトに取られてますから。3連続でハズレくじを引く、さすがどんでん岡田さんですよ(笑)
つーわけで大石達也は西武へ。
ちなみに阪神が1位指名し競合の末外した選手は野茂・小池秀郎・清原・大場翔太・菊池雄星・大石達也・近藤真市・松井秀喜・中田翔・川島堅・堂上直倫・右田一彦・松本啓二朗・藤原紘通の14人。たらればを言い出したらキリがありませんが、野茂や清原、松井を当てていれば歴史は大きく変わったでしょうね…
そしてここで実央ちゃんから言ってはいけないこの質問。
俺なら即答しますよ「行きません」って。巨人にドラフト指名されて入団拒否した勇気ある選手は俺が生まれてからは前述の福井優也を含め3人しかいませんからね、球界の盟主ぶってる巨人に赤っ恥をかかせるだけでも入団拒否の意味はあります!
ちなみに俺が生まれてから阪神に入団拒否した選手が1人だけいるんです。それは意外にも1985年の日本一の立役者池田親興。池田さんは高校時代に阪神から指名されたにも関わらず進学し、社会人を経て再び阪神からの指名を受けて入団してるんです。
まぁ少年時代ファンだった球団に入れる選手の方が少ないんでしょうからね、割り切って入団する選手がほとんどなんでしょうが…我々関西人はちょっと特殊でね、阪神ファンであると同時に、もしくは阪神ファンであるよりも前に「アンチ巨人」なんですよ。だから関西人なのに巨人に入団する選手の気持ちはちょっと理解できないところもあるんですけどね。でも結構いるんですよ、古くは森さん、高田さん、土井さん、別所さん、青田さん、さらには桑田、清原、吉村、元木、岡島、村田真、上原、小久保あたりも関西人。現役なら内海、坂本、亀井は関西人ですからねぇ。俺が思っているほどアンチ巨人というのは関西人の共通認識ではないのかもしれないなぁ…
ドラフト指名を拒否した選手の野球生命は短い、これは兎にも角にも江川卓により印象付けられたんでしょうが、他にもドラフト指名を拒否した大物選手はいます。巨人の元木、内海、長野、菅野、阪神のエモやん、広島の川口さん、福井、中日の矢沢さん、福留、横浜の平松さん、近鉄の小池、阪急の山田久志、南海の門田さん、新井宏昌、ソフトバンク新垣…こーして羅列してみると、特に野球生命がが短命なようには感じませんけどね。
そして年が明けて3月11日。これが起きちゃうわけですな。
この地震については俺はあまり述べません。地震当時川崎にいた俺は都内に帰宅もできず数日は混乱に巻き込まれましたが、あんな苦労は何でもない。東北沖地震について語ってよいのは実際に津波や原発事故に巻き込まれた人達だけです。当事者でない俺に語る資格は無い。
そんなわけで当然この話にも繋がります。
阪神大震災が起こったその時、俺は神戸に住んでました。当時高校二年生でしたが、あの震災の衝撃は生涯忘れません。まぁ地震の思い出は別の場所で語るとして、「頑張ろうKOBE」を肩に刻んで戦ったオリックスの勇姿はやはり記憶に刻み込まれてますね。地震のあった1995年にパリーグ制覇、翌1996年には日本一、あれはやっぱり神戸っ子を勇気付けましたもん。そして1996年に日本一を決めた日本シリーズの第5戦、俺はグリーンスタジアムで観戦してたんですよ。仰木監督が宙を舞ったあのシーンを生で見れたのは俺にとっては貴重な財産の一つです。俺は阪神ファンですが、一番好きな野球人は仰木さんですもんね…
がしかし、阪神大震災と東北沖地震とで異なるのは、東北沖地震が発生したのがプロ野球開幕間近な時点だったということです。